命の尊さ、生まれた意味
お久しぶりです。
早いもので臨月を向かえもういつ産まれてもおかしくない状態になりました。
妊娠してから育児書を読んだり母親学級に行ったりして色々なことを学びました。
そんな中で今の私が思うところをチョロっと真面目に記述していきたいと思います。
今の気持ちを忘れないためにも。
私が一番感銘を受けたのは病院の母親学級の助産師さんの話でした。
”赤ちゃんが生まれようとする理由”
① 人の役に立つため
② 母親に命の尊さを知ってもらうため
まず赤ちゃんは生まれてくるだけで必ず人の役に立つそうです。どんな子でも。
それは②の母親に命の尊さを知ってもらうため、これに繋がるのではないかと思います。
なぜなら私がそうだったからです。
私は今まで自分なんて存在しなくてもよいものだとずっと思っていました。
死のうと思ったことも数え切れないほどありました。
でも、お腹に命を宿したことでそんな風に思うことはなくなりました。
「私が死んでしまったらこの子も死んでしまう。この子だけは守ろう。」
そう思えるようになりました。
そして安定期に入る前、流産の確立が高い時期にもどれだけ不安に思いながら過ごした
ことでしょう。どんなに短い間でも自分のお腹の中に命が宿っているのですから
この命はなんとしても守り抜きたい、そう思い日々を過ごしました。
そう、お腹の子供が私に命の尊さを教えてくれたのです。
私の命・子供の命の尊さを。
そのことを教えてくれただけでも①の人の役に立つためというのはクリアしており
私のことを成長させてくれたということでお腹の子はすでに生まれてくる意味があるのです。
助産師さんが言うには流産してしまった子にも必ずなにかしらの意味があるそうです。
流産は赤ちゃんがなにか忘れ物をしてしまった時だそうです。
そして必ずその赤ちゃんは戻ってくると。
もし、流産せずに無理に生んでいたとしてもその子の身体が弱いなど後々辛くなるそう。
でも流産はとても辛いことだと思います。自分がそうなってしまったらと考えただけで
涙が出てきます。頭では理解できても気持ちはついていきませんね。
でも全ての命に意味があるということですね。
私は今まで自分が生まれた・生きている意味の答えをずっと探していました。
ある育児書を読んでいたらこうかいてありました。
「幸せな人生を送るためにいちばん大切なことは自己肯定感です。」
自己肯定感とは自分は大切な存在だ、自分は生きている価値がある・必要とされている
という気持ちのこと。私にはそれが全くない。
自分は生きている価値がなく誰からも必要とされていないから存在しなくてよいのだと
ずっと思っていた。
なぜそう思うようになってしまったのか?
それはやはり小さい頃の母親の接し方に問題があったと思う。
私はずっと否定され続けて育てられた。一番記憶に残っている言葉は
「お前はいつも私のことを裏切る。お前のことは信じない。」
しかしどんなひどいことを言われても子供はやはり母親が好きだし認められたい。
でもずっと否定され続ける。それが続けば子供は「自分は不必要な人間だ。」
と思ってしまうだろう。
母親も私が憎くてそう言っていたわけではない。
彼女にも私に対するきちんとした愛情はあった。
彼女は完璧主義人間で多分、そういうことを言われても立ち直れるような
精神的に強い子に育てようとしたのだと思う。大人になった今なら少しわかる。
でも幼稚園・小学生の子供にそんなことがわかるか?といわれたら答えは”NO”である。
私は彼女の否定の言葉全てを真に受けて育った。
私が言って欲しかった言葉。それは
「あなたのことを大切に思っている、愛している。」
母親にとっては当たり前のことかもしれないが子供である私にはそれをきちんと言葉にして
伝えてくれなければわからないことだ。
私は母親のようには絶対ならないようにしようと心に誓った。
毎日お腹の子に伝えている。
「ママはあなたが今、お腹ににいてとっても幸せなの。あなたが本当に大切なの。
あなたは皆に望まれて生まれてくる子なのよ。大好きだし愛しているよ。」
と。母親のその言葉だけでも自己肯定感は生まれると思う。
だからお腹の子には「自分は生きている価値があるのだ。」と是非思ってもらいた。
また育児書に”自分のされた子育てを振り返る”とあった。
私は自己肯定感の話のように母親にされて嬉しかった・よかったということが
残念ながらほとんど思い当たらない。きっとあるのだろうけれどされて嫌だったことの方が
多すぎてわからないのだと思う。だから私は自分の母親は反面教師とすることにした。
母親のようには絶対にならないと。自分の子供には言葉でも態度でも愛情たっぷりで
接してあげたいと思っている。お母さんの子供でよかったと思って欲しい。
なぜならば”全ての子供は母親を選んで生まれてくる”そうだ。
よく「子は親を選べない」というが本当は逆で「子供が親を選んでお腹に宿る」のだそう。
だから私は子供が生まれたら
「ママを選んでくれてありがとう。」
と感謝の気持ちを伝えたいと思っている。
その気持ちを忘れずに私を選んだことを後悔させないようにしたいと思う。
しかしふと思うのは私も自分の母親を自分で選んだのだということ。
それが考えても何故彼女を選んだのかさっぱりわからないのだ。
ハッキリ言って失敗だったとも思う。
私は彼女の役に立っているのだろうか?
でもそんなことを考えても仕方ないしきっともう答えもでないと思うのでやめることにした。
今まで自分の母親をかなり否定的に記述してきたが私は別に虐待されたとかそういう
わけではないし、彼女もきちんと愛情を持っていてくれているし彼女なりに大切に
育ててくれたので感謝はしている。ただ彼女は愛情表現がへたくそなだけなのだ。
だから私はストレートな愛情で子供に接したいと思っている。
私が生まれた意味。
それははっきりした答えが出たわけではないけれど今、お腹の中にいる子をこの世に送り出す。
それでよいと今は思っている。
今、お腹で胎動を感じるととても幸せな気持ちになる。
今まで生きてきた中で今が一番幸せかもしれない。
こんなに幸せな気持ちを感じたことはなかった。
死ななくてよかったと思えるようになった。
「生きていればそのうちいいことがあるよ。」
なんてよく言うけれど、あながち間違いでもないなと思った。
お腹の子に伝えたいこと、それはとにかく”ありがとう”という気持ちです。
元気に産まれてきてね。
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早いもので臨月を向かえもういつ産まれてもおかしくない状態になりました。
妊娠してから育児書を読んだり母親学級に行ったりして色々なことを学びました。
そんな中で今の私が思うところをチョロっと真面目に記述していきたいと思います。
今の気持ちを忘れないためにも。
私が一番感銘を受けたのは病院の母親学級の助産師さんの話でした。
”赤ちゃんが生まれようとする理由”
① 人の役に立つため
② 母親に命の尊さを知ってもらうため
まず赤ちゃんは生まれてくるだけで必ず人の役に立つそうです。どんな子でも。
それは②の母親に命の尊さを知ってもらうため、これに繋がるのではないかと思います。
なぜなら私がそうだったからです。
私は今まで自分なんて存在しなくてもよいものだとずっと思っていました。
死のうと思ったことも数え切れないほどありました。
でも、お腹に命を宿したことでそんな風に思うことはなくなりました。
「私が死んでしまったらこの子も死んでしまう。この子だけは守ろう。」
そう思えるようになりました。
そして安定期に入る前、流産の確立が高い時期にもどれだけ不安に思いながら過ごした
ことでしょう。どんなに短い間でも自分のお腹の中に命が宿っているのですから
この命はなんとしても守り抜きたい、そう思い日々を過ごしました。
そう、お腹の子供が私に命の尊さを教えてくれたのです。
私の命・子供の命の尊さを。
そのことを教えてくれただけでも①の人の役に立つためというのはクリアしており
私のことを成長させてくれたということでお腹の子はすでに生まれてくる意味があるのです。
助産師さんが言うには流産してしまった子にも必ずなにかしらの意味があるそうです。
流産は赤ちゃんがなにか忘れ物をしてしまった時だそうです。
そして必ずその赤ちゃんは戻ってくると。
もし、流産せずに無理に生んでいたとしてもその子の身体が弱いなど後々辛くなるそう。
でも流産はとても辛いことだと思います。自分がそうなってしまったらと考えただけで
涙が出てきます。頭では理解できても気持ちはついていきませんね。
でも全ての命に意味があるということですね。
私は今まで自分が生まれた・生きている意味の答えをずっと探していました。
ある育児書を読んでいたらこうかいてありました。
「幸せな人生を送るためにいちばん大切なことは自己肯定感です。」
自己肯定感とは自分は大切な存在だ、自分は生きている価値がある・必要とされている
という気持ちのこと。私にはそれが全くない。
自分は生きている価値がなく誰からも必要とされていないから存在しなくてよいのだと
ずっと思っていた。
なぜそう思うようになってしまったのか?
それはやはり小さい頃の母親の接し方に問題があったと思う。
私はずっと否定され続けて育てられた。一番記憶に残っている言葉は
「お前はいつも私のことを裏切る。お前のことは信じない。」
しかしどんなひどいことを言われても子供はやはり母親が好きだし認められたい。
でもずっと否定され続ける。それが続けば子供は「自分は不必要な人間だ。」
と思ってしまうだろう。
母親も私が憎くてそう言っていたわけではない。
彼女にも私に対するきちんとした愛情はあった。
彼女は完璧主義人間で多分、そういうことを言われても立ち直れるような
精神的に強い子に育てようとしたのだと思う。大人になった今なら少しわかる。
でも幼稚園・小学生の子供にそんなことがわかるか?といわれたら答えは”NO”である。
私は彼女の否定の言葉全てを真に受けて育った。
私が言って欲しかった言葉。それは
「あなたのことを大切に思っている、愛している。」
母親にとっては当たり前のことかもしれないが子供である私にはそれをきちんと言葉にして
伝えてくれなければわからないことだ。
私は母親のようには絶対ならないようにしようと心に誓った。
毎日お腹の子に伝えている。
「ママはあなたが今、お腹ににいてとっても幸せなの。あなたが本当に大切なの。
あなたは皆に望まれて生まれてくる子なのよ。大好きだし愛しているよ。」
と。母親のその言葉だけでも自己肯定感は生まれると思う。
だからお腹の子には「自分は生きている価値があるのだ。」と是非思ってもらいた。
また育児書に”自分のされた子育てを振り返る”とあった。
私は自己肯定感の話のように母親にされて嬉しかった・よかったということが
残念ながらほとんど思い当たらない。きっとあるのだろうけれどされて嫌だったことの方が
多すぎてわからないのだと思う。だから私は自分の母親は反面教師とすることにした。
母親のようには絶対にならないと。自分の子供には言葉でも態度でも愛情たっぷりで
接してあげたいと思っている。お母さんの子供でよかったと思って欲しい。
なぜならば”全ての子供は母親を選んで生まれてくる”そうだ。
よく「子は親を選べない」というが本当は逆で「子供が親を選んでお腹に宿る」のだそう。
だから私は子供が生まれたら
「ママを選んでくれてありがとう。」
と感謝の気持ちを伝えたいと思っている。
その気持ちを忘れずに私を選んだことを後悔させないようにしたいと思う。
しかしふと思うのは私も自分の母親を自分で選んだのだということ。
それが考えても何故彼女を選んだのかさっぱりわからないのだ。
ハッキリ言って失敗だったとも思う。
私は彼女の役に立っているのだろうか?
でもそんなことを考えても仕方ないしきっともう答えもでないと思うのでやめることにした。
今まで自分の母親をかなり否定的に記述してきたが私は別に虐待されたとかそういう
わけではないし、彼女もきちんと愛情を持っていてくれているし彼女なりに大切に
育ててくれたので感謝はしている。ただ彼女は愛情表現がへたくそなだけなのだ。
だから私はストレートな愛情で子供に接したいと思っている。
私が生まれた意味。
それははっきりした答えが出たわけではないけれど今、お腹の中にいる子をこの世に送り出す。
それでよいと今は思っている。
今、お腹で胎動を感じるととても幸せな気持ちになる。
今まで生きてきた中で今が一番幸せかもしれない。
こんなに幸せな気持ちを感じたことはなかった。
死ななくてよかったと思えるようになった。
「生きていればそのうちいいことがあるよ。」
なんてよく言うけれど、あながち間違いでもないなと思った。
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ジャンル : 心と身体